あるはずのない知らない世界の話

ふと、こんな事を考えた。

私達人間は、前世の生き物の時、地獄に堕ちたから人間に生まれたのか、天国へ昇ったから人間に生まれたのかと。

これを読んでいるあなたは、どちらだと思うだろうか。

 

私は、前世で地獄に堕ちたから、人間に生まれたのだと思っている。

 

人間の欲のせいで絶滅している生き物がいる。

そういう生き物達がもし存在していたら、逆に人間が存在していなかったら、今いる生き物は別の進化を遂げているのだろうか。

人間が存在していないからこそ、新しく誕生した生き物がいるのだろうか。

私は、人間が誰一人とて存在していない世界を見てみたい。

でも私はその世界を見る事が出来ない。なぜなら私は人間だから。

私がいたら、人間が誰一人とていない世界ではなくなってしまう。

けれど私が人間じゃなければ、こんな事は思わないだろう。

それが皮肉でたまらない。

 

私は、私達人間が存在してから今までに壊してきたもの、消した命、本当はあったはずのその美しさや、壮大さを知らない事が罪だと思う。

地獄に堕ちた前世の生き物は、そんな無知で罪な生き物に生まれて来てしまったのだ。

 

私達は私達の知らない罪を背負い、自分の気付かぬうちにその罪を償う事ができたら、天国へ行き、次は人間以外の生き物に生まれ、初めて罪の正体や愚かさに気づくことが出来ると思っている。

 

死にたかった頃の話

私は中学生の頃死にたかった。

死にたかった理由は、4年以上前の事だからか、高校へ行ってからが楽しかったからか、それか私自身が消したい記憶だからか、具体的に細かくは思い出せないけれど、友達の事と受験が重なって限界だったのだと思う。

でも私には、飛び降りる為のマンションに入る事も、ロープを首にかけても足場を崩す事も、縦にも横にもカッターナイフを刺し込み、そのまま引く事もできなかった。できたのはハサミやカッターで血管の所を少しだけ切るくらい。怖くて痛くてそれくらいしかできなかった。できなかったのに、本当に小さいけれど、傷だけが残ってしまった。

 

受験や親の悩みは、塾へ行って勉強するというのが私には合わなくて、頭がいい母に分からない所を教えて貰ったりしてたから、勉強の事で大喧嘩したとかそんなだったと思う。

 

問題は友達だった。

 

中学二年生の時、部活が同じで仲良くなった、私を含めて5人のグループがあった。部活の時も、休み時間もいつも一緒にいた。その中で私はいじられキャラだった。好きでもない男子の事を勝手に好きという設定で話されたり、滑舌が悪いのを真似されたり、顔の事もブスと馬鹿にされたりした。

嫌じゃなかった訳では無い。でもその頃の私には、そこしか自分の居場所が無いと思っていたし、普通に楽しい時もあったから何も言えなかった。でも彼女達の中で言い返さないと全て「OK」にされてしまう。だから「いじり」はどんどんエスカレートしていった。

真剣に話してても大袈裟にオウム返しして聞いてくれない。

マフラーを取られて臭いと言われ、親に頼んで専用の洗剤を買って貰って洗ったら、後から「臭くなんてなかったのに」と笑われた。

私が半月板を損傷して松葉杖の時なんて、松葉杖の片方を奪ってみんなで先に走って行ってしまった。「待って」と言いながら片方の松葉杖を使い、損傷していない右足を必死に動かしてみんなを追いかけた。けど彼女達はその時の私を見て「ゾンビだー!ゾンビがいる!」と言って指差して笑って逃げて行った。全然話したことの無いヤンキーの女の子が、その光景を見て「ひどい、大丈夫?」と私に話しかけに来てくれたほどに。

私が彼女達に「やめて」と言える頃には裏で「○○さん」とあだ名を付けられて、私のいるところで馬鹿にして好きなように言っていた。なんとなく私の事だと気づきながらも「○○さんって誰?」と四人の中の一人Aに聞くと「○○さんの事知らないの?有名だよ。みんな知ってるよ、調べてみなよ。」と言われた。もちろんその日の夜調べたが何も出てこなかったので、次の日にAに何も出てこなかったと言うと「え?本当に調べたの?(笑)」と返ってきた。

もうどうしてこんな人達と一緒にいるのか分からなくなってきていたし、本当に本当に毎日が辛くて「本当にやめて」と言っても冗談と思っているのか、本気で言っていると気づいていたのか知らないけれど、やめてはくれなかった。

受験のプレッシャーとかも重なっていたのかもしれないが、あの時は本当に辛くて死にたかった。

本当に死にたかった。

死んで解放されたかった。

でも私にそんな勇気はなかった。

だから死ねなかった。

 

けれど三年生になり部活の引退後予想もしてない事が起きた。

5人いたグループが私を含めた3人とAのいる他2人に割れたのだ。

今までいじりで好き勝手言われてた私から、悪口という形でAともう1人にターゲットが移った。多分Aともう1人も同じ様な事になっていただろう。なんて単純な、愚かな人達。そしてグループが割れてもなお、一緒にいる私も愚かだ。

それからAともう1人とは二度と関わることはなかった。

しばらくして5人グループの1人で、グループが割れてもなお一緒にいた2人の内の1人に、2人きりの時「シロクジラはそこまで滑舌悪くないよ」「あの時の○○さんはシロクジラだったんだ」と申し訳なさそうに言われたけれど、許す気もなければ、今更怒る気にもなれなかった。

もう遅い。

 

私は5人全員と違う高校へ進学し、もう5人の誰とも深い関わりはしなくなった。

 

高校生になってからやめて欲しい事はやめてとはっきり言うようにした。でも誰もそれで離れていく人はいなかった。もし離れていく人がいたら、悲しいけれど、その程度の関係なのだ。

 

今になって思うと、一対一で気が引けるのか、面白くないからなのか、彼女達は私と2人で話してる時は決していじってこなかった。彼女達と一緒にいた時間が全て辛かった訳ではない、楽しい事もたくさんあった。あったのだけれど楽しかった思い出はもう殆ど忘れてしまった。

嫌いではないけど好きでもない。

恨んでないけど許さない。

この先も私は彼女達にこういう感情を抱いていくのだろう。

 

机に「死ね」と落書きされた訳ではない。靴を隠されてしまった訳でも、教科書を破かれた訳ではない。私がされた事はいじめではない。けれどされたら嫌な事。してはいけない事。正しく「親しき仲にも礼儀あり」だ。

あの頃の中学生の私は、小さい小さい学校という世界で生きていて、友達とか、ひとりでいるのは嫌だとか、5人でいる事が世界の全てだった。

でもそんな事はない。

友達という存在は大切だが、ひとりでいる事は悪い事なんかじゃない。むしろひとりでいるのが心地よかったりもする。

ひとりじゃなくても、誰かと一緒にいれたとしても、その人が自分を傷付けるような人ならひとりでいた方がいいと、皮肉にも彼女達のお陰で今はそう思える自分がいる。

あんなに辛くて死にたかった事も今では全て思い出に変わってしまった。

どんなに今が辛くても、10年後には「10年前、こんなことがあったんだよ」とそれが例え笑い話に出来なくとも、誰かに話せているかもしれない。

辛くて死にたくなる時、今まで自分の全てだと思っていた小さい世界から抜け出してほしい。例えば学校だって会社だって、死にたくなるなら辞めてしまえばいい。簡単な話ではないのかもしれないけれど、死ぬ勇気なんか必要ないから、自分を助ける為の一歩を踏み出す勇気を持ってほしい。

 

それに、必ずしも、自分が傷付けられてる側とは限らない。

自分が冗談で言った一言で傷付いてる人がいるかもしれない。私自身も気付かぬうちに彼女達の誰かを傷付けてしまっていた事があったかもしれない。

必死に笑って自虐して、そういうキャラにしてしまう事で自分を守っている人がいるかもしれない。

その人達の「SOS」を絶対に見逃してはいけない。

見て見ぬふりをしてはいけない。

あなたの言葉に笑いながら「やめてよ〜!」と言っているその人は、今日も家に帰ってからあなたの言葉で悩んでいるかもしれない。

「自分がされて嫌な事は、他の人にやってはいけない」当たり前の事だけど、小さい頃大人に言われたこの言葉は大人になった今、今度は自分自身に問い聞かせてみなければならない。

そうする事で、誰かの世界が、少しでも良くなる事を私は願う。

 

男が好きか女が好きか分からないけど分からないままでいい話

まずはじめに、これからの文を読んで分かり合えない人もいるだろうし、分かってくれる人もいるだろう。     ただ、この世にたくさんいる人間の、その中のちっぽけな一人の意見として見て欲しい。

 

私は今まで恋愛感情として同性、つまり女性を好きになった事はない。けれどそれは「今まで」の話であって「これから」の事は分からない。

人は、友達として好き、人間として好きなど様々な好きという感情がある。その中でも恋愛感情として好きという感情は私は特別なものだと思う。けれど「恋愛感情として好き=異性として好き」とは考えられない。

そもそも性別というのはそんなに大事な事なのだろうか。男と女で見た目、そして考え方も違うかもしれない。けれどそれだけであって、なぜ異性を好きにならなければいけない?同性を好きになると、どうして世間から周りとは違う者という目で見られなければならないのか。世界中の男女の夫婦やカップルだって、好きになった人がたまたま異性だったというだけじゃないか。

先日家族で同性婚の話になった。その時に人の考えはそれぞれ自由だが家族の一人が「それじゃあ子供ができない」と言った事が私はすごく嫌だった。今は結婚しても子供を産まない夫婦や、結婚しない人だってたくさんいる世の中なのに、よりによって同性婚した人に言うことではないと思った。それに子どもを産むことは今はまだ出来ないが、育てる事は出来ると思っている。

 

少し話が逸れるが、少子化問題などはあるけれど、この人と一生を過ごしたいと思ったから結婚したのに、その先のまだ存在していない子供の話をするのは結婚した本人達であって、それ以外の人達は、例え家族であってもどうこう言える立場ではないと思う。それに少子化が進み、これから何千、もしかしたら何百年先に人類がいなくなっても、常に絶滅する生き物がいる中で、その順番が人類に回ってきただけ、抗い様の無い問題だと思ってしまう。

 

話を元に戻そう。同性で好き合うのはおかしいと思う人を一人残らず無くす事は難しいだろう。けれど「別にそれでもいいんじゃない?誰を好きになろうがその人の勝手だし」と、思える人が増えればいいと思う。他人の恋愛なんて他人のもので、自分には関係無いのだから。同性を好きだというだけで、獲物を見つけたかの如く悪く言うのは間違っている。

 

冒頭でも似たような事を言ったが、私は恋愛感情として好きになったのは今まで男性しかいない。けれどファーストキスは女の子だし、ずっと一緒にいたいのは女性。結局のところ私は「女だからこう」とか、「男だからこう」とかそういう枠に囚われたくない。自分でも男と女、どっちが好きなのか分からない。でも分からないままでいい。

もしこれから恋人になる人が男性でも、次に恋人になる人は女性かもしれない。もちろんその逆も。性別なんて関係ない「この人だから好き」という人に出会いたいと思っている。そして同性を好きになる事に対して理解までとはいかなくても、この言い方が合っているかは分からないが、「その人の勝手」と放っておける人達が増えればなと私は思う。