死にたかった頃の話
私は中学生の頃死にたかった。
死にたかった理由は、4年以上前の事だからか、高校へ行ってからが楽しかったからか、それか私自身が消したい記憶だからか、具体的に細かくは思い出せないけれど、友達の事と受験が重なって限界だったのだと思う。
でも私には、飛び降りる為のマンションに入る事も、ロープを首にかけても足場を崩す事も、縦にも横にもカッターナイフを刺し込み、そのまま引く事もできなかった。できたのはハサミやカッターで血管の所を少しだけ切るくらい。怖くて痛くてそれくらいしかできなかった。できなかったのに、本当に小さいけれど、傷だけが残ってしまった。
受験や親の悩みは、塾へ行って勉強するというのが私には合わなくて、頭がいい母に分からない所を教えて貰ったりしてたから、勉強の事で大喧嘩したとかそんなだったと思う。
問題は友達だった。
中学二年生の時、部活が同じで仲良くなった、私を含めて5人のグループがあった。部活の時も、休み時間もいつも一緒にいた。その中で私はいじられキャラだった。好きでもない男子の事を勝手に好きという設定で話されたり、滑舌が悪いのを真似されたり、顔の事もブスと馬鹿にされたりした。
嫌じゃなかった訳では無い。でもその頃の私には、そこしか自分の居場所が無いと思っていたし、普通に楽しい時もあったから何も言えなかった。でも彼女達の中で言い返さないと全て「OK」にされてしまう。だから「いじり」はどんどんエスカレートしていった。
真剣に話してても大袈裟にオウム返しして聞いてくれない。
マフラーを取られて臭いと言われ、親に頼んで専用の洗剤を買って貰って洗ったら、後から「臭くなんてなかったのに」と笑われた。
私が半月板を損傷して松葉杖の時なんて、松葉杖の片方を奪ってみんなで先に走って行ってしまった。「待って」と言いながら片方の松葉杖を使い、損傷していない右足を必死に動かしてみんなを追いかけた。けど彼女達はその時の私を見て「ゾンビだー!ゾンビがいる!」と言って指差して笑って逃げて行った。全然話したことの無いヤンキーの女の子が、その光景を見て「ひどい、大丈夫?」と私に話しかけに来てくれたほどに。
私が彼女達に「やめて」と言える頃には裏で「○○さん」とあだ名を付けられて、私のいるところで馬鹿にして好きなように言っていた。なんとなく私の事だと気づきながらも「○○さんって誰?」と四人の中の一人Aに聞くと「○○さんの事知らないの?有名だよ。みんな知ってるよ、調べてみなよ。」と言われた。もちろんその日の夜調べたが何も出てこなかったので、次の日にAに何も出てこなかったと言うと「え?本当に調べたの?(笑)」と返ってきた。
もうどうしてこんな人達と一緒にいるのか分からなくなってきていたし、本当に本当に毎日が辛くて「本当にやめて」と言っても冗談と思っているのか、本気で言っていると気づいていたのか知らないけれど、やめてはくれなかった。
受験のプレッシャーとかも重なっていたのかもしれないが、あの時は本当に辛くて死にたかった。
本当に死にたかった。
死んで解放されたかった。
でも私にそんな勇気はなかった。
だから死ねなかった。
けれど三年生になり部活の引退後予想もしてない事が起きた。
5人いたグループが私を含めた3人とAのいる他2人に割れたのだ。
今までいじりで好き勝手言われてた私から、悪口という形でAともう1人にターゲットが移った。多分Aともう1人も同じ様な事になっていただろう。なんて単純な、愚かな人達。そしてグループが割れてもなお、一緒にいる私も愚かだ。
それからAともう1人とは二度と関わることはなかった。
しばらくして5人グループの1人で、グループが割れてもなお一緒にいた2人の内の1人に、2人きりの時「シロクジラはそこまで滑舌悪くないよ」「あの時の○○さんはシロクジラだったんだ」と申し訳なさそうに言われたけれど、許す気もなければ、今更怒る気にもなれなかった。
もう遅い。
私は5人全員と違う高校へ進学し、もう5人の誰とも深い関わりはしなくなった。
高校生になってからやめて欲しい事はやめてとはっきり言うようにした。でも誰もそれで離れていく人はいなかった。もし離れていく人がいたら、悲しいけれど、その程度の関係なのだ。
今になって思うと、一対一で気が引けるのか、面白くないからなのか、彼女達は私と2人で話してる時は決していじってこなかった。彼女達と一緒にいた時間が全て辛かった訳ではない、楽しい事もたくさんあった。あったのだけれど楽しかった思い出はもう殆ど忘れてしまった。
嫌いではないけど好きでもない。
恨んでないけど許さない。
この先も私は彼女達にこういう感情を抱いていくのだろう。
机に「死ね」と落書きされた訳ではない。靴を隠されてしまった訳でも、教科書を破かれた訳ではない。私がされた事はいじめではない。けれどされたら嫌な事。してはいけない事。正しく「親しき仲にも礼儀あり」だ。
あの頃の中学生の私は、小さい小さい学校という世界で生きていて、友達とか、ひとりでいるのは嫌だとか、5人でいる事が世界の全てだった。
でもそんな事はない。
友達という存在は大切だが、ひとりでいる事は悪い事なんかじゃない。むしろひとりでいるのが心地よかったりもする。
ひとりじゃなくても、誰かと一緒にいれたとしても、その人が自分を傷付けるような人ならひとりでいた方がいいと、皮肉にも彼女達のお陰で今はそう思える自分がいる。
あんなに辛くて死にたかった事も今では全て思い出に変わってしまった。
どんなに今が辛くても、10年後には「10年前、こんなことがあったんだよ」とそれが例え笑い話に出来なくとも、誰かに話せているかもしれない。
辛くて死にたくなる時、今まで自分の全てだと思っていた小さい世界から抜け出してほしい。例えば学校だって会社だって、死にたくなるなら辞めてしまえばいい。簡単な話ではないのかもしれないけれど、死ぬ勇気なんか必要ないから、自分を助ける為の一歩を踏み出す勇気を持ってほしい。
それに、必ずしも、自分が傷付けられてる側とは限らない。
自分が冗談で言った一言で傷付いてる人がいるかもしれない。私自身も気付かぬうちに彼女達の誰かを傷付けてしまっていた事があったかもしれない。
必死に笑って自虐して、そういうキャラにしてしまう事で自分を守っている人がいるかもしれない。
その人達の「SOS」を絶対に見逃してはいけない。
見て見ぬふりをしてはいけない。
あなたの言葉に笑いながら「やめてよ〜!」と言っているその人は、今日も家に帰ってからあなたの言葉で悩んでいるかもしれない。
「自分がされて嫌な事は、他の人にやってはいけない」当たり前の事だけど、小さい頃大人に言われたこの言葉は大人になった今、今度は自分自身に問い聞かせてみなければならない。
そうする事で、誰かの世界が、少しでも良くなる事を私は願う。